2024年9月 2日

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コミュニケーション・ラジオ第2回「私は誰かを抑圧している?」

コミュニケーション・ラジオ第2回

私は誰かを抑圧している?

フロンテッジのコピーライターの青木美穂とストラテジックプランナーの鮎川幹が、世に溢れる広告・コミュニケーション、コンテンツなどを眺めながら、自分たちを取り巻く「当たり前」について考えてみる社内向けラジオ番組「コミュニケーション・ラジオ」。第2回目は202312月に収録したラジオを再編してお届けします。
※この記事は映画『正欲』のネタバレを含みます。

広告がマイノリティの生きる活力を奪う可能性がある

映画『正欲』あらすじ

妻と息子の3人で暮らす検事の寺井啓喜(演:稲垣吾郎)と、ショッピングモールの寝具売り場で働く桐生夏月(演:新垣結衣)を中心に、夏月の中学時代の同級生である佐々木佳道(演:磯村勇斗)、大学の学園祭実行委員の神戸八重子(演:東野絢香)、ダンスサークルに所属して八重子に思いを寄せられている諸橋大也(演:佐藤寛太)などの登場人物が加わり、それぞれに人知れず生きづらさを抱える彼らの人生が、ある事件を軸にして重なり合う姿が描かれている。


青木
 価値観や幸せの形が多様化している今、いつの間にか自分の考え方に偏りが生まれていたり、前時代的な考え方を持っていたと気づいたりすることも少なくありません。そこでこのラジオでは、世の中のさまざまな表現物に刺激を受けて「当たり前」について考え直していきます。
ということで、今回のテーマは「私は誰かを抑圧している?」です。先日私たちは、朝井リョウさん原作の『正欲』という映画を観たんですよね。

鮎川 はい。非常に面白い作品でした。『正欲』はみなさん観られましたか? なんとなく、リスナーの2割ぐらいの方が観ているような感覚ですが。個人的にもいろいろと思考するきっかけになったので、観てよかったなと感じています。

青木 本作は複数の視点が入れ替わっていく群像劇の構成で、さまざまな角度から観ることができる作品ですが、特に「マジョリティの意見や価値観が、マイノリティの生きる活力を奪っているのではないか」という問題提起の部分で考えさせられることが多かったです。広告を扱う仕事は、往々にして多数派の代弁になってしまうことがあり、実は自分もマジョリティ側として抑圧している側面があるのでは……。今回は、そんなモヤモヤした部分を語り合えればと思います。

鮎川 最近は、広告・コミュニケーション、コンテンツなどを見ても“多様性”というものを意識しない日はなくなってきていて、性的マイノリティを描いた映画『怪物』なども話題になりました。そうした世間の流れを見ると、まるで世界が丸くなったような感じがしてしまう。でも本当は全然丸くなっていなくて、マイノリティの中でも顕在化してきた存在だけを見ていたのではないかと、『正欲』を観て思ったんですよね。本作には水に性的興奮を覚える人たちが描かれているのですが、そうした人たちがいることを僕自身もまったく想像したことがなかった。多様性を意識しているにもかかわらず、自分の想像力のなさを痛感しました。
あと、映画の中で一番記憶に残っているのが「なんでお前は理解する側なんだよ」というセリフです。

青木 原作小説にもあったセリフですね。

鮎川 いつもマイノリティがカミングアウトする側で、それを受け入れるのがマジョリティという構造になっているのではないかということを示唆するセリフです。“社会的な正しさ”がマイノリティを抑圧してしまうことがあるというケースを描いている本作を観たことで、「社会の正しさと、個人の正しさは違う」ということに気づかされました。社会の正しさは倫理的な視点で語られて、個人の正しさはその人の感情で語られる。そこに“正しさ”の差があるんじゃないかなと。ただ、昭和的な価値観から令和になるにつれて、社会より個人の正しさを優先するように社会も変わってきているとは思うんですよね。

社会から個人へ、変容しつつある「正しさ」の形

青木 昔の正しさと今の正しさの違いみたいなところでひとつ、過去の経験を思い出しました。以前、小さなCMプロダクションで働いていたときの話です。そこでは掃除やお茶くみ、社員が使ったカップの洗い物といった雑務を一番若手の社員がやっていたんです。

鮎川 僕も最初に入った制作会社ではやっていましたね。当番の日は、少し早く出社をしたりして。

青木 たとえば、雑務というものは、かつては“一番若手や後輩がやるべきこと”“やるのが正しいこと”だったかもしれないけれど、今は違うような気がするなって思い始めています。今の正しさでいうと、組織やチームにおいて「自分ができる最善な行動ってなんだろう」と考えることが大切な気がしていて。年功序列で決めてしまうものではないんじゃないかなと。

鮎川 「善と悪」だったり「継承すること/しないこと」みたいなものを、今一度仕分けたほうがいい段階にきているなと思います。

青木 過去の正しさと今の正しさの違いを検証するということですよね。かつては割と「大多数の考え方」や「これまでのやり方の継承」が市民権を得ていたけど、それが実はハリボテだったんじゃないかとみんなが気づき始めている時期でもありますし。

鮎川 そうそう。雑務を年下がやるかどうかという話もそうだし、昨今のさまざまな悪しき慣習が要因になっているニュースにも通じる話だと思う。その世界では「当たり前」とか「伝統」になっているものがあって、その環境の中にいるとどうしても慣習を受け入れてしまうことがある。でもそれが常態化すると、他者、それも特に立場の弱い人に対して今度はその当たり前を強要する側になってしまう可能性がある気がします。

青木 それが怖いんです。

鮎川 「個人の正しさ」の話で言えば、他者がなぜ怒っているのかとか、なぜ苦しんでいるのかっていうのは分かる部分もあるけれど、圧倒的に分からない部分のほうが多いです。『正欲』でいうと、僕は水に対して性的興奮を覚える感覚は全く分からなかった。ただ、「理解できない」と言って切り捨てるのではなく、相手の意思にちゃんと目を向けて尊重したいとは思っているんです。稲垣吾郎さん演じる寺井は息子に「学校に行きたくない」と言われるけど、そこで相手を尊重しないと「社会性を身につけるために学校は行ったほうがいい」なんて定説的なことをつい正論ぶって言ってしまう。

青木 その人のことを思って言っているつもりでも、その人が求めている答えではない。

鮎川 「こっちは経験で分かっているから」という社会正義のスタンスで押しつけることはしたくないですよね。

青木 その人にとって本当にいい選択なのかどうかという視点が抜けてしまうことはありますよね。これは自戒でもありますが。

鮎川 僕も同じです。とはいっても、難しいですが……。ただ少し話は変わりますが、たとえば「学校に行かない選択をしたけど、行くことにした」みたいに、一度決めたことでも、その選択は変えていいとは思います。自分の中の正義や正しさは変わるし、いまの社会は一貫性を求めすぎている気がします。

青木 考え方が変わっていくことはいいことだと思います。むしろ、変わることを肯定できないことのほうが問題な気がしちゃいますね。

抑圧しないコミュニケーションの可能性

青木 今回のテーマと広告を結びつけて考えると、マーケティング戦略を理解して考えていくことができれば、抑圧されている側の人たちを先導したり、勇気づけるメッセージを発信することができると思うんです。たとえば、2022年のカンヌライオンズ屋外広告部門でグランプリを取った「Adidas Liquid Billboard」(編注1)。この事例から学べる考え方ってあると思います。

※注釈1:世界中の女性の32%、特に中東においては88%の女性が公共の場で泳ぐことに抵抗がある。そうしたソーシャルイシューに対してアプローチをかけた企画だった。

鮎川 ドバイのビーチに設置された、水槽型の屋外看板ですね。障がいのある女性や妊婦、イスラームの女性信者向け水着「ブルキニ」を着た女性をはじめ、多様な女性たちが実際に水槽で泳げるようにして、その様子を世界に届けるといった内容でした。

青木 アディダスが新たな水着コレクションを発表するために設置した広告ですが、「BEYOND THE SURFACE(=表層を越えて)」というコピーがついていて、「身体の障がいや表面的な見た目に囚われず、多様な人々が堂々と泳げる世界にしたい」というアディダスからのメッセージが込められているように思います。

青木 この事例でいえば、新作水着を宣伝するというミッションを遂行しながらも、広告コミュニケーションを通じてマイノリティや普段抑圧されてしまう側の人との「繋がり」を生み出すこともできた。宣伝と社会的メッセージを両立できたということです。

鮎川 そうですね。広告は物を売るためのものですが、メッセージを打ち出した先に、さまざまな人に対して理解を深めるきっかけになるとか、生きづらさを感じている人のストレスが少しでも緩和されるとか、そういったことを諦めずに、意識しながら仕事をしていきたいです。

青木 そうですね。大がかりなことじゃなくても、小さなことから何かできたら。コピーライターなので言葉についても触れておくと、「多様性」などよく耳にする言葉もちゃんと解像度を上げて精査しないと、抑圧する広告コミュニケーションをつくってしまうかもしれないと、この映画から考えさせられました。

鮎川 ということで、今回は映画『正欲』を題材に「私は誰かを抑圧している?」というテーマでお話しました。コミュニケーション・ラジオ、次回もぜひお楽しみに!



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構成:原 航平/イラスト:蘭木流子

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