2023年1月12日
INTERVIEW
中心選手が入れ変わり、アイデアを揺さぶりながら進んでいく。SCD・上島史朗が作る「強いチーム」とは
フロンテッジ シニア・クリエイティブ・ディレクター 上島 史朗
もっとも優れた広告のクリエイティブワークを表彰する「クリエイター・オブ・ザ・イヤー賞」(一般社団法人日本広告業協会主催)で2021年のメダリストとなった上島史朗さん。上島さんが手掛けた、西武・そごう「わたしは、私。」シリーズの「レシートは、希望のリストになった。」「さ、ひっくり返そう。」は、2021年のTCC賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARD GOLDなど国内外で数々の広告賞を受賞。高く評価されています。
ほかにも、そごう川口店「さよならの前に、できること。」、信濃毎日新聞「家族のはなし」シリーズ、KIRIN「#iMUSEで医療支援」など毎年多くのクリエイティブを手掛けてきました。アイデアを形にしていくプロセスには、クリエイティブ・ディレクターとしてどんな働きかけがあり、チームづくりがあるのでしょうか。上島流「強いチームのつくり方」を聞きました。
上島史朗(うえしま・しろう) フロンテッジ シニア・クリエイティブ・ディレクター
埼玉県所沢市出身。アルペンスキーへの愛着から長野へ。ながのアド・ビューローで数多くの地元CMに携わる。2007年よりフロンテッジへ。主な仕事に、西武・そごう「わたしは、私。」シリーズ、そごう川口店「さよならの前に、できること。」、信濃毎日新聞「家族のはなし」シリーズ、KIRIN「#カンパイ展」、「#iMUSEで医療支援」など。TCC賞、TCC新人賞、CCN賞、地方CM大賞、文化庁メディア芸術祭審査員推薦作品、BOVAグランプリ、ADFEST、Spikes、ほか。2021年クリエイター・オブ・ザ・イヤー メダリスト。
2017年から、西武・そごうが毎年1月1日に発表するコーポレート広告「わたしは、私。」を手掛けてきた上島さん。2020年には、コピーを上下逆に読むと「絶対絶命」が「大逆転」へと変わる「さ、ひっくり返そう。」、2021年には、制約のない日常への"希望"をレシートで表現した「レシートは、希望のリストになった。」を発表。クリエイター・オブ・ザ・イヤー賞メダリストを始め、多くの賞を受賞した。
「西武・そごうの仕事は、毎年、何を伝えるべきかをゼロから考えてゆきます。そのプロセスは、世の中が考えていることと、百貨店がやらなければならないことの接点をひたすらに探る日々。当然、苦労もしますが、毎年さまざまな発見が待っています。」
チームのメンバーは5人。上島さんのほか、エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター(以下ECD)の島田浩太郎さん、アートディレクターの加納彰さん、コピーライターの山際良子さん、プランナーの宗政朝子さんが毎週集まっては、各自必死で考えたアイデアを持ち寄り、議論を重ねていった。
それぞれの職能の役割は異なる。アートディレクターはビジュアル企画のプロ、コピーライターは言葉のプロだ。ただ、西武・そごうの仕事では、その役割はどんどん重なり合っていったという。
「打ち合わせに向けて、限られた時間でアイデアを考える作業は生みの苦しみです。それを何年も共有しているチームだったので、なんでも言い合える関係性が生まれていました。すると面白いことに、活躍する中心選手が変わるチームのように、いいアイデアを持って来るメンバーが次々と入れ替わっていったんです。先週の企画の見え方が、今週はがらっと変わる、なんていうことも何度もありました。
レシートを使うというアイデアを持ってきたのは宗政でしたが、彼女はもともとプロモーションを担当していた人間です。でも、彼女はレシート内の各アイテムについてのコピーもすべて書いて案を出してきました。役割を固めずに、『面白いアイデアを出せたらそれでいい』と認め合える空間をつくれたことが、この仕事が生まれた理由なのかもしれません」
フラットに意見を言い合える環境が、仕事の自信を作る
そもそも、クリエイティブ・ディレクターとして「チームをつくる力」の原点はどこにあるのだろう。
上島さんの社会人のスタートは、長野県長野市にある広告代理店だった。スキーが大好きだったあまり、「スキーと仕事を両立させられる場所」として長野で就職。5年半、広告企画からコピーライティング、撮影のディレクション、編集など広告づくりに関するあらゆる仕事を経験した。その後、「海外の広告賞を目指したい」との思いから、31歳のときにフロンテッジへの転職を決めたという。
「長野で働いている頃に、西日本のTV CMがカンヌで賞を取ったんです。当時、日本のCMが海外の広告賞を取るのは珍しく、それを地方のCMが取れたことに、尊敬と嫉妬が入り混じった感情を覚えたと同時に、『自分はこのままでいいのだろうか』という焦りを感じたんです。
もともと、僕が広告に興味を持ったきっかけはクリエイティブディレクターの大貫卓也さんが手掛けた『としまえん』のポスターでした。『広告批評』が出していた『大貫卓也全仕事』をはじめ、『佐藤雅彦全仕事』(すべてマドラ出版)など数々のクリエイターの仕事に関する本を読み込んでは、『なんて面白いことを仕事にしているのか!』と衝撃を受けたんです。アイデアひとつで勝負する斬新さは海外に共通していて、僕もそんな企画を手掛けたかった。フロンテッジには当時、カンヌやアドフェスト(ADFEST/アジア太平洋広告祭)での審査員経験のあるECDがいて、ここならチャンスがあるかもしれないと思いました」
ターニングポイントは、入社4年目に訪れた。
ソニーの自転車ナビnav-uで手掛けた「TOKYO ZOO PROJECT」で、2011年のADFESTで銀賞を取ったのだ。
自転車で走った軌跡で地上絵を描くというGPSアートのプロジェクトで、Twitterで募集した"動物の地上絵"をもとに、フロンテッジチームが自転車で実際に走っていく。そして、できた地上絵をTwitterに次々とアップしていくというインタラクティブな取り組みだったという。
「実は、それまでの3年間は企画が一切通りませんでした。企画づくりをしたくてフロンテッジに来たのに、どのアイデアにもOKが出ない。自分はダメなんだと思えば思うほど、自信を持って提案できず、もじもじしているのでますます企画が通らなくなる。完全に負のスパイラルに陥っていました。
しかし、『TOKYO ZOO PROJECT』では、そもそも誰のアイデアもうまくハマらず企画が固まらずにいました。いよいよ時間がない、数時間後のプレゼンまでになんとかアイデアを出そう! と会議が行われ、全員がフラットな状態で発言できる環境が生まれたんです。そこで僕が、GPSアートのアイデアを提案。当時は斬新だったその試みに、みんながいいねと賛同し、プロジェクトが動き始めました。
チームで約1カ月、都内を自転車で走り回り、夢中になって地上絵を描く日々が本当に楽しかった。腐らずに続けていればときにはいいことが起こるもんだな、と自信が芽生えた仕事になりました」
周りの職能に足を踏み入れる姿勢が、チャンスを広げていく
臆せずに思ったアイデアを話せる場があったから、今の自分がいると話す上島さん。みんなで意見を一気に出し合い、ひとつのアイデアにまとまっていく空気の心地よさは、西武・そごうでのチームワークにも共通している。
「クリエイティブ・ディレクターはメンバーから寄せられた多くの企画、ビジュアル案やコピーの中から、どれがいいのかを見極める仕事です。でも、はっきりとした正解の基準を持ってできている自信は全然ない。チームのメンバーと一緒に悩みながら、間違い続けることで、一歩先に進むことを繰り返しています。
今の広告は、見る人の分だけ、異なる視点があります。完璧なひとつの答えがあるなんて、意外とウソかもしれないと疑い始めること。それが、今のクリエイティブへの向き合い方なのかなと思うんです。メンバーが出してくるアイデアの中には、不完全なものも多くあります。でも、最終的なゴールイメージがチームで共有できていれば、お互いに補い合うことができる。そのプロセスを通して、企画を強くすることができる。時にはクライアントに提案しながら、その反応の中に違和感を見つけて、それをメンバー全員がフラットな立ち位置で軌道修正しながら意見を出し合っていく。これからの強いチームは、中心選手が次々と変わり、アイデアを揺さぶりながらつくっていけるチームなのかもしれません」
現在、上島さんがリーダーを務める「クリエイティブパーチ」も、まさにそんなチームだ。
パーチとは、鳥が止まり巣立っていく"止まり木"のこと。20~30代を中心に、次世代の活躍が期待されるメンバーが13人集まった、フロンテッジ独自の組織だという。
「メンバーの職能はさまざまです。デジタルもクリエイティブもストラテジーも、あるいはまだ方向が定まっていない若手もいる。この組織で好きなことや得意なことを見つけ、実績が自他ともに認められたのちに、新たな専門部署に巣立っていくメンバーもいます。
メンバーには、どんなアイデアを持ってきてもいい、何を話してもいいという安心感の中で仕事をしてほしい。そんな思いから、自分のハマりごとを15分でプレゼンする『Something』という取り組みを社内横断で立ち上げています。自由に、オープンに自分の思いを伝える機会をつくることで、しゃべりやすくさせてあげたい。それは、僕が入社後3年間苦しんだ経験があるからこそ。あのときの思いが今につながるなんて、無駄なことはなかったんだなと改めて思いますね」
広告を取り巻く環境は刻々と変化を続ける。だからこそ、これからのクリエイターには何を求めるのだろう。
「活躍するクリエイターの顔触れは、10年前とは一変しています。プロジェクト規模の大小にかかわらず、丁寧に、ブランド自体を元気にしている人ばかり。ひとつの仕事を育てていくことに喜びを見出していけるかどうかが、これからのクリエイティブでは大事になるでしょう。
そこで欠かせないのは、隣の肩書きに半歩入っていける人材です。西武・そごうの仕事では、コピーライターでもアートディレクターでもなくプロモーションからきた宗政が、ビジュアルのコピーも全部書いてきた。そんな風に、『どっちにもなれなかったからどっちにもなった』というスタンスで動ける人には、チャンスが多く生まれ、楽しく仕事ができると思っています」
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